- 建造
- 天保年間(1830〜1844)
- 代表彫刻
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- 壇箱:「桃園の三傑」(初代彫常)
- 蹴込:「牡丹に唐獅子」(初代彫常)
- 脇障子:「須佐之男命・稲田姫」(初代彫常)
- 持送り:「昇り龍」(初代彫常)
- 吹抜格天:「龍」(早瀬長兵衛一門)
- 蟇股:「近江八景」(早瀬長兵衛)
- 前山四本柱:「黒柿に金焼付」
- 幕
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- 大幕:緋羅紗の無地
- 水引:白羅紗地に「群鳩飛翔の図」の刺繍(森高雅下絵)
- 人形
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- 上山人形:「役小角大峯桜(えんのおづのおおみねざくら)」(九代玉屋庄兵衛)
乙川の祭礼は、毎年3月下旬、乙川地区の氏神である八幡社と若宮社への山車の奉納と町内曳きを中心に行われている。
八幡社の起源は、定かではないが、棟礼によれば、大永2年(1522)8月に再建され、『入水上社』と言われていた。寛永元年(1624)11月の造営時には、『入水八幡宮』、文政9年(1826)の本殿造営時には、『八幡宮』、明治13年(1880)の拝殿の再建時には、現在の『八幡社』と言われていた。祭神は、文政9年(1826)戌10月の文書によれば、神功皇后、応神天皇、田心姫命、市拝嶋姫であった。大正4年(1915)現在の白山公園の白山社が合祀され連玉之男命、子象母津事解之男命、菊理姫命を加えた。
南山の山車は、宝暦5年(1755)の乙川村祭礼絵図に浅井山・殿海道山の山車に次ぎ現在と同様3番目を巡行している所が描かれ、上山には、『役正角大峯様からくり人形』(乱杭渡り)が飾られている。旧車は、美浜町河和中組に譲渡されたといい宝暦5年の銘がある。しかし、絵図に描かれている山車とは、大きく異なるので、この銘が建造の時期を示すかどうかは、疑問である。譲渡時期については、定かではないが、一説には慶応の頃とされている。このことから、現在の山車の建造年代は、明治初期ではないかと考えられている。
乙川の祭礼の中に、龍神祈祷と言う行事があり、この時南山は重要な役割を果たす。山車の巡行が終り、各組の山車をサヤに納める前に、南山単独で入水天神に神官が祝詞を上げ祭礼が無事終了したことを報告する行事である。この祈祷が終了した後、各組の山がサヤに納められる。
彫刻は、地元半田の彫師新美常次郎の蹴込『牡丹に唐獅子』、壇箱『桃園の三傑』、脇障子『須佐之男命』、『稲田姫』などが施されている。昭和60年には、高蘭を黒檀にした。
大幕は、緋羅紗の無地である。水引は、白地に群鳩飛翔、青海波(青色)、鳩(白・黒)、雲(紺色)の刺繍である。なお、寛政から文化の頃にかけて建造された旧車のものと思われる大幕が保存されている。
「半田博物館展示解説」より引用




















