- 建造
- 安政6年(1859)
- 改造
- 昭和25年(1950)
- 代表彫刻
-
- 壇箱:「竹林の七賢人」(立川和四郎冨重)
- 脇障子:「大天狗玉取之彫」「仙人玉取之彫」(初代彫常)
- 持送り:「力神」(初代彫常)
- 蹴込:「舟遊び」(初代彫常)
- 蟇股:「大楠公父子の別れ」(初代彫常)
- 懸魚:「牛若丸と烏天狗」(立川角三郎)
- 幕
-
- 大幕:緋羅紗の無地
- 水引:「波に龍」の縫いつぶし(下絵:鬼頭道周)
- 人形
-
- 前棚人形:三番叟
- 上山人形:「唐子遊び(乱杭渡り・変身)」(山田利圀)
宝暦5年(1755)乙川村から尾張藩に差し出した絵図の控えが、乙川八幡社に保存されている。先頭は獅子、その後に神輿(みこし)とそれと供奉して神主、二人の庄屋、組頭が四人、差樽とつづき、その後に4輌の山車がくる。この行列は、半田地方の古くからある祭礼の典型的な形で、山車は神輿の警固(警護)であることを示している。乙川村では宝暦2年(1752)正月に祭礼の法式を改革して『定』を作成しているが、その中で「定」・「祭礼定日之事」として「唯今之通正月十五日十六日若雨天亦ハ如何様之指支出来仕候ハヽ指延シ置始楽本楽両日急度相勤可被申被」とある。乙川村の祭礼の定日は旧暦正月十五日、十六日であった。絵図に描かれた四輌の山車の先頭を行くのが浅井山宮本車である。上山には『小鳥丸夢の助太刀からくり人形』を乗せている。宮本車というのは、地縁によって分割した山車組の地域の中に氏神が所在地を含まれている場合に付けられる名称である。従って巡業の際は山車の先頭を行き、前山で三番叟を奉納する。
浅井山宮本車の壇箱彫刻「竹林の七賢人」は安政6年(1859)に立川和四郎富重が彫ったものである。脇障子の『牛若丸烏天狗』前山懸魚『牛若丸烏天狗』はともに地元乙川の彫師である立川和四郎の弟子立川角三郎が安政6年(1859)に彫ったものである。持送りの力神は大正11年に蹴込みの『舟遊び』は昭和25年に初代新美常次郎が彫ったものである。
「半田博物館展示解説」より引用



















