- 現車建造
- 明治11年(1878)
- 改造
- 明治40年、大正3年(1914)、大正11年、昭和25年、昭和54年(1979)
- 代表彫刻
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- 壇箱:「鵺退治」(瀬川治助重光)
- 大平鰭:「加藤清正、朝鮮征伐」(初代彫常)
- 持送り:「力神」(野々垣清太郎)
- 脇障子:「神功皇后」(初代彫常)
- 蹴込:「竹に虎」(初代彫常)
- 蟇股:「七福神」(初代彫常)
- 懸魚:「松に鷹、鳩に桜」(初代彫常)
- 幕
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- 大幕:緋羅紗の無地
- 追幕:緋羅紗地に烏帽子と鈴の刺繍
- 水引:白羅紗地に波と飛龍の金刺繍(正池(彫常)下絵)
- 人形
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- 前棚人形:三番叟
- 上山人形:「鵺(源頼政 弓張月の対峙)」(九代玉屋庄兵衛)
西組に残る寄付帳によれば、明治11年3月に現車が建造されています。当時の役員構成として宿元を中心として大行司、車行司、当行司、車係と9名ほどの役員名と大工頭の名と外大工5名と記されています。現在の役員構成と大きく違い時代の変遷が伺えます。常設の山車蔵、鞘は昭和25年の新築まで無くそれまで山車は町内の篤志家の蔵に分散して収納し、祭礼前に筵掛けの仮鞘を組み立てていたようです。
1日目、敬神車は最初に成石神社に曳き入れ、神社の幟を建て祭りの開始を告げます。その後、町内廻りとともに各町内の守り神である秋葉社めぐり、夕方からは再び成石神社において宵宮が行われます。2日目は午前中地区内の末社をめぐり午後神官行列とともに本祭りとして三度成石神社に打ち込まれ、三番叟、鵺退治のからくりが奉納される。



















